2011年12月22日木曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):少女は4歳で失明した。
2011年12月21日水曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦32
2011年12月20日火曜日
2011年12月14日水曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦27
「学会の活動を、最も推進してくださっているのは婦人部です。機関紙の配達員さんを見ても、圧倒的に婦人が多い。
したがって壮年は、婦人を尊敬し、ねぎらい、その意見を尊重することが大事です。
壮年幹部が、なんの相談もなく、一方的に物事を決めて、結果だけを伝えるようなことは、厳に慎むべきです。
それでは、共戦になりません。だいたい、壮年と婦人がギクシャクしている組織というのは、対話がなく、連携がないことが多いんです。
もちろん、協議をしても、意見の一致をみない場合もあるでしょう。しかし、活動を進めるには、どれかに決定しなければならないことが多い。
その時には、多少、不本意でも、皆で話し合って決まったことを、快く受け入れ、心を合わせて頑張ることです。
いちばんよくないのは、いざ実行する段階になって、『私は、もともと反対であった』などと言いだすことです。
それは、組織の団結を、内側から破壊する行為です。
また、壮年幹部が婦人を下に見て、威張ったり、叱りつけるようなことがあっては、絶対にならない。
そんな幹部がいたら、言ってきてください。私が戦います。
さらに、ご婦人の目から見て、細かいことでも、“何か、おかしいな”と思うことがあれば、躊躇せずに、声をあげてください。
それが、学会という清浄な世界を蝕む、悪の芽を断つことになる。婦人の清らかな生命のセンサーが、学会を守るんです」
創価学会の広宣流布運動は、これまで時代建設とは最もかけ離れた存在と思われていた女性が、前面に躍り出て推進してきた、未聞の民衆運動である。
それは、まさに、「草莽崛起」(民衆の決起)の、新しい歴史の幕開けといってよい。
そのために、伸一は、女性が、張り合いと生き甲斐をもち、楽しく快活に活動が進められるように、心を砕き続けてきたのである。
SEIKYO online (聖教新聞社):年末年始 友人と語り合おう
2011年12月9日金曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):広布のために同志の激励に足しげく通ったという壮年部の先輩に話を聞いた。
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦24
2011年12月8日木曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):この一年、愛用した手帳のページを繰ると、仕事や活動、家族の出来事などが脳裏に浮かぶ。
2011年12月7日水曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):大学3年生の就職活動が解禁になった。
「ダイヤモンドはね、たとえゴミ箱に捨てられていてもダイヤモンドなんだ」と。
2011年12月6日火曜日
まだ会わない同志の青年へ
今は一生で一番かもしれないくらい大変に辛く苦しい時かもしれません。
そんな時こそ、お父さんお母さんはより以上心を砕いておられるはずです。
ですのでお父さんお母さんを今まででよりも大切に想ってください。
でも想うこと、それはどのようにすればよいか。
もしその答えが見つからない時は真剣にお題目をあげてみてください。
今の自分に最適な答えが必ず見つかります。これは自信を持って断言できます。
それでは勇気と前進への健闘をお祈りしています。
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦21
本当に人間が幸福になるには〝心の財〟を積むしかない。
心を磨き、輝かせて、何ものにも負けない自分自身をつくっていくのが仏法なんです。
その仏法を弘め、この世から、不幸をなくしていこうというのが、学会なんです
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今が経済的や精神的の不幸・苦悩で縛られ、身動きできない人に
希望を与え何でも良いから充実した日々送ってもらえるよう、
お手伝いさせてもらおう。
2011年12月2日金曜日
2011年12月1日木曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦17
2011年11月30日水曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦16
大事なことは、正法を皆に語り抜いていくことなんです。
皆さんは、不軽菩薩のことを学んだでしょう。私たちの下種活動は、現代において、不軽菩薩の行を実践しているんです。すごいことではないですか!」
法華経の常不軽菩薩品には、次のように説かれている。
過去世の威音王仏の滅後、像法に、不軽菩薩が出現する。
不軽は、会う人ごとに、二十四文字の法華経を説き、礼拝・讃歎して歩いた。
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経五五七ページ)
<私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです>
不軽菩薩は、一切衆生に仏性があると確信し、こう訴え、人びとにひざまずき、合掌していったのである。
しかし、彼の言葉を聞くと、むしろ、人びとは、怒り、憎悪の心を燃え上がらせた。不軽の言うことは虚言であるとして、悪口し、罵り、さらに、杖や棒で打ち、瓦のかけらや石を投げつけたのである。
それでも不軽菩薩は、「我れは深く汝等を敬い……」と言って、人びとを礼拝することをやめなかった。
この時、不軽を軽んじ、迫害を加えた者は千劫の間、無間地獄に堕ちる。しかし、最後は、正法を聞いた縁によって救われるのである。
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三級勝利への道49
http://ameblo.jp/kiroku01/entry-10374948371.html より
悪世末法は、「争い」の時代であり、それを変革するためには、一人一人が「自他の仏性」を信じ、
「人を敬う」行動を続ける以外にありません。
「人を敬う」という、人間としての最高の振る舞いを説き、万人が同じ実践を貫くように教えたのが仏教です。
「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、
不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、
穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(P1174崇峻天皇御書)
2011.11.30の「わが友に贈る」より
わが友に贈る
新入会の友を大切に!
悩みや意見や要望を
じっくりと聴くことだ。
一人に心を砕いてこそ
広布の未来は開かれる。
成果ばかり競ってると、やがて自分に返ってくる。肝に銘じる。
2011年11月29日火曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):寸鉄
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦14
2011年11月25日金曜日
青年よ広布の山を登れ
青年よ広布の山を登れ
(詩「青年よ21世紀の広布の山を登れ」から)
作詞 山本 伸一
構成 野田 順子
作曲 甲斐 正人
愛する君達よ
君らこそ
悠々たる大河の流れだ
この流れは 誰人にも
止めることはできない
いかなる妨げがあろうとも
さらにさらに
水かさを広げながら
海原に向かって
流れていくに違いない
*青年とは
希望とは
真実とは
広宣流布という
友のための法戦を
貫きゆくことなのだ
(*以下くり返し)
2011年11月22日火曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):吉田松陰は、体当たりで青年を触発する人であった。
2011年11月21日月曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦8
続けて伸一は、小郡の婦人部、男子部、女子部の中心者についても、細かく尋ねていった。
梅岡が口ごもると、伸一は言った。
「県長というのは、県内の地図も、全同志のことも、みんな頭に入れておくんです。世帯が何万にもなるので無理かもしれないが、
少なくとも、すべてを知ろうと、必死になって努力するんです。全同志を漏れなく幸せにする県長としての責任を思えば、一人ひとりに対して、無関心でいられるわけがない」
梅岡は、伸一の胸に燃え盛る、広布新開拓の闘魂を感じた。
「私たちは、自分自身の心の中にある光りがあかあかと消すことのできない炎をもって燃えるのでなければ、
他の人たちの心に永続する光りを投じることは、できないのである」(注)とは、アメリカの人権の母エレノア・ルーズベルトの言葉である。
2011年11月19日土曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):23日、勤労感謝の日 人間錬磨の価値ある日々を
日蓮大聖人は、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)と仰せである。「みやづかい」とは仕事のことであり、
法華経の修行として仕事に励んでいきなさい、との御指南である。
「月給分だけ働けばよい」「文句を言われない程度にやればいい」といった受け身の考えを排し、仕事には、わが権利として
主体的に取り組むことだ。それでこそ、仕事は価値ある人間錬磨の道場となる。日々、人間的な成長を図るためにも、生涯、
青年の心意気で仕事に打ち込んでいく。それが、仏法者の生き方であろう。
2011年11月18日金曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦6
「創価学会が、はつらつと躍動する、世界的な大仏教団体として発展してきた陰には、幾十万人もの、無名の民衆である先輩功労者の尽力がありました。
皆、暮らしも貧しいなか、足を棒にして弘教に歩き、それはそれは激しい、いわれなき中傷、批判にさらされてきました。それでも、ただ、ひたすら、広宣流布のために走り抜いてくださった。その方々がいらっしゃったからこそ、今日の、堅固な創価学会ができた。そのことを、若い幹部の皆さんは、絶対に忘れないでいただきたい。
そうした先輩同志の方々のなかには、今は高齢のため、健康上の理由などから、組織の第一線を退いている人もおられるでしょう。しかし、立場はどうあれ、かつては言語に絶する法戦を展開し、仏の使いとして御本尊への御奉公を立派に果たし、広宣流布に献身してこられた尊い方々です。創価の先駆者、開拓者であり、永遠の宝の方々です。
したがって、県長をはじめ、ライン幹部の皆さんは、そうした方々を、陰に陽に大切にし、また、尊敬の念を払って、人生の見事な総仕上げのために、温かい配慮をめぐらしていただきたい。
本日、ご参集の皆さんも、二、三十年もすれば、大半の方々が、今の年配功労者と同じように、ラインの正役職を退き、後輩にバトンタッチしていくことになるんです。
懸命に、創価学会を築いてこられた方々に対しては、たとえ第一線を退いても、広宣流布の最大の功労者として尊敬し、亡くなられたあともまた、その遺徳を後世に顕彰していく――これが、私の思いなんです。この最も尊く麗しい精神の流れを、これから、ますます強めつつ、共々に今世の使命を立派に果たし抜いていこうではありませんか!」
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自分の地域も信心の大先輩が大勢いる中、まだ第一線で活躍している(してもらわないといけない)状態。
はやくバトンを受け継ぐ体制を構築しないといけないと強く感じる。
2011年11月16日水曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):桜の木が多い信濃町も紅葉の季節を迎え、緑色だった葉の中からきれいな赤や黄の色が生まれている。
2011年11月11日金曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):共戦1
フランスの大歴史家ミシュレは言う。
「歴史とは行動の報告書である」(注)
君が歩いた分だけ、道ができる。あなたが語った分だけ、希望の種が植えられる。
困難に退くまい。流した汗も、涙も、すべては福運の宝玉となる。よき人生とは、人のために尽くした行動の、輝ける年輪である。
われらの太陽は、東天に昇り、新しき朝の到来を告げた。さあ、胸を張り、行動を開始しよう。燦たる未来に向かって、さっそうと走りだすのだ。
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毎日少しずつでも地域の広布のため前に進もう。
2011年11月10日木曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):青春時代の決意忘れず邁進
SEIKYO online (聖教新聞社):福光59
「弱い自分に打ち勝ってこそ、人生の栄光はあります。
苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる力――それが信仰です。それが、地涌の菩薩です。真の学会員です。
どうか、皆さんは、大試練の時こそ、“われらは、創価の後継者なり”“われらは、新時代の山本伸一なり”との自覚で、さっそうと立ち上がってください。その希望あふれる姿が、広宣流布の力となります。
これだけの青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となっていくなら、福島は盤石です。二十年先、三十年先、四十年先の、凛々しき闘将となった諸君の勇姿を思い描いて、私の本日の話とさせていただきます。ありがとう!」
2011年11月9日水曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):福光58
「戸田先生は、自ら誓願された会員七十五万世帯を達成された。昭和三十三年(一九五八年)三月には、憔悴しきっておられた。先生と私とは、二十八歳の年の差がある。
牧口先生が、戸田先生に広宣流布のバトンタッチをされたように、戸田先生は、未来のために、広宣流布の一切を、私をはじめとする青年たちに託された。それが、あの六千人の青年が集った『3・16』の儀式なんです。
次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです。
したがって、後継者が臆病であったり、力がなく、自分たちの世代に、仏法流布の流れを開いていくことができなければ、広宣流布の未来も、学会の未来もなくなってしまう。
ゆえに私は、青年部の、また、高等部をはじめ、未来に生きる各部の皆さんの育成に、真剣勝負で臨んでいるんです。
広宣流布は諸君に託すしかない。私は、君たちのために、すべてを注ぎ尽くします。命をも捧げる思いでおります」
伸一は、それから、青年期は、苦闘と葛藤の連続であり、さまざまな誘惑もあることを述べた。
「しかし、どんなことがあっても、人生の究極の法である仏法の世界から、創価学会という仏意仏勅の組織から、絶対に離れるようなことがあってはならない。どうか、日蓮大聖人の、『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書二三二㌻)との御言葉を心肝に染めていただきたい。
人生には、常に、悩み、苦しみがあるものです。しかし、二十年、三十年と信心を貫き、広宣流布の使命に生き抜いていくならば、何ものにも負けない、強い、金剛不壊の自身を築くことができます。その生命の変革があってこそ、所願満足の人生を歩んでいくことができるんです」
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かりそめの幸福や充足、迷い苦しみなどによって信心から離れた方々を
”励ましのネットワーク”で戻ってもらえるよう勤めていきたい。
自分もそうしてもらって今があるのだから。
2011年11月7日月曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):福光56
2011年11月6日日曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):福光55
信心三十年の私の結論は、信仰という根本の生き方においては、あくまでも純粋に、真面目に、御書に仰せのままに、突き進んでいかねばならないということであります。
また、人生を大きく左右するのは、福運です。その福運を積むうえで大事なのは、感謝の一念です。
同じように学会活動をしていても、不平不満を言いながらでは、福運を消してしまう。
それに対して、“今日も仏の使いとして働ける!”と、御本尊、大聖人に感謝し、信心を教えてくれた学会に感謝していくならば、歓喜の世界が開かれる。そして、その心が、功徳、福運につながるんです。
2011年11月4日金曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):福光53
創価学会は、信頼と誠実に結ばれた、人間性にあふれた心の世界である。その世界が、惰性化して事務的になったり、形式化して、心が伝わらなくなってしまうことを、山本伸一は、何よりも恐れていたのだ。
「一家のなかで、最も大切な宝は、婦人の微笑です。夫も、子どもも、そこから勇気を得ます。希望を知ります。人生には、どんな苦難が待ち受けているか、わかりません。その時に、朗らかに微笑むことのできる人こそが、本当に強い人なんです。
『母は一家の太陽である』と言われます。それは、どんなに大変な時でも、微笑の光で、家族を包み込むからだと私は思う。
詩聖タゴールは、『女性よ、あなたの笑い声のなかに、いのちの泉の妙なる響きがある』(注)と詠っているし、確か、トルストイも、母の微笑を讃嘆していました」
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持続可能な信心を先生の日記から学んでみようと思う。
最終的には「題目・行動・研鑽」に尽きる。
でもなかなか思うように行かない。しょっちゅう決意新たに進む勇気。
2011年11月1日火曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):福光51
2011年10月31日月曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):2011/10/31 名字の言より「蘭室の友」
立正安国論の「蘭室の友」(御書31ページ)の譬え。蘭室にいれば、わが身もその香りを纏うのと同じように、徳ある人と交われば、自分の命も磨かれていくという教えである。素晴らしい師、素晴らしい同志と歩む人生は、無限の希望の香りに包まれていく。
ネット上で同志の活動報告が飛び交うSNSグループもまた「蘭室」かもしれない。
遠いあの地での活躍や苦闘をリアルタイムに見聞きするとこちらにも勇気が出る。
冬は必ず春となる
2011年10月30日日曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):福光49
2011年10月28日金曜日
SEIKYO online (聖教新聞社):壮年部の先輩と、訪問激励に回った。
壮年部の先輩と、訪問激励に回った。語らいの後、別れ際に先輩がぽつり。「やっぱり、家庭訪問はええなぁ」「いろんな人に出会うと触発されて、惰性も反省するし、初心に戻って、よーし、明日からまた頑張ろう、という気持ちになる」と▼先日の座談会。担当のリーダーが最後に一言。「座談会っていいですね。心が洗われて、新入会の時の新鮮な気持ちがよみがえってきます」。訪問激励、座談会――広布の最前線は心を新たにしてくれる
--中略--
SEIKYO online (聖教新聞社):福光48
「時には、学会活動のなかで、いやなことや辛いことに直面する場合もあるでしょう。組織での人間関係で悩むこともあるかもしれない。また、学会への誤解、無理解から、非難、中傷されることもあるでしょう。
大聖人は、『修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし』(御書一一三六ページ)と仰せです。一生成仏を成し遂げ、広宣流布という大願を成就していくための仏道修行なんですから、大変なのはあたりまえです。
それを乗り越えることで、自分が磨かれ、強くなり、宿命の転換がなされていくんです。『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(同一四四八ページ)との御聖訓を深く心に刻んで、喜び勇んで難に立ち向かう、強盛な信心の皆さんであってください」
2011年10月27日木曜日
依正は不二
小説「新・人間革命」 福光45 より
広宣流布の戦いを起こしたがゆえに、何度となく、辛い思い、悲しい思い、悔しい思いもした。幾度も、人知れず涙を流した。
しかし、そのたびに、宿命の鉄鎖を一つ一つ断ち切っているという、確かな手応えを感じていた。そして、いかなる苦難や試練にも負けない勇気と、歓喜が、全身にほとばしるのを実感するのであった。
同志たちは、皆、病苦や経済苦、家庭不和などの悩みを抱えていた。しかし、地涌の菩薩の使命に目覚め、広宣流布の大道を歩み始めると、心を翻弄し続けてきたその悩みが、取るに足りない、指先の小さな“ささくれ”のように感じられるのだ。
同志の胸中を占めている大きな悩みといえば、“あの友人を、なんとしても救いたい”“わが地域の広宣流布を進めたい”ということであった。まさに、それは、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みであった。その境涯は、既に、悲哀に泣く宿命の谷間からの、飛翔を意味していた。
依正は不二である。主体である衆生の心身(正報)と環境(依報)は、密接不可分の関係にある。ゆえに、自身の境涯が変革されれば、現実の状況も変わらぬわけがない。
事実、広宣流布に喜々として走る同志たちは、競うようにして功徳の花々を咲かせ、人間革命、宿命転換の実証を打ち立てていった。そして、その歓喜と確信が、さらに大きな弘教の力となっていったのである。
『苦』もまた、楽しい
「折伏に行って、悪口を言われ、時には、罵詈罵倒されることもあるでしょう。また、悔しい思いをすることもあるでしょう。
それは、すべて、経文通り、御書に仰せ通りのことなんです。その時に、負けるものかと、歯を食いしばって頑張り続けることによって、過去世からの罪障が消滅できるんです。仏道修行は、罪障消滅、宿命転換のためでもあるんです。そう確信できれば、『苦』もまた、楽しいではありませんか!」
「抜苦与楽」
ヘコミやすい自分、
その時、経文通り!御書に仰せ通り!と確信を深めて行きたい。
「負けじ魂」という言葉が思い浮かぶ。
母の信心の実証を示しゆく
全ての人に共通の事実――それは母から生まれたということ。母を思う時、人は優しくなれる。そして強くなれる
知人の母親が重い病になった。遠く離れて看病に行けないため、彼は毎日、手紙を書き、それは逝去まで2カ月以上も続いた。仕事と活動を終えた深夜、一生懸命、母への励ましを綴る姿に、周囲の男子部メンバーも心打たれて奮起。広布拡大の原動力となった
池田名誉会長は「平和は遠くにあるのではない。一人の人を大切にすることだ。お母さんを泣かせないことだ」と語る。平和社会への根本精神を、実に端的に表した指針ではあるまいか。
母の信心の正しさ、偉大さを伝えるには子どもの振る舞いでこそ証明されると肝に銘じたい。
話は下手でも努力だけは怠らず
着実に実績を伸ばす人材には、特徴があるという。
「意外でしょうが、器用な人より、口下手な人が多いんです」。
不器用な分、陰で努力する。一生懸命に語る。その真剣さが、かえって相手に響くのだという。
広布の世界も同様だろう
人の心を動かす言葉。それは、時間の長短ではない。
表面的な上手、下手で決まるものでもない。そこに何が込められているのか。その一点に尽きる
話は下手でも努力だけは怠らずに真剣に相手を想って行動していきたい。
「読書週間」がスタート。
「読書週間」がスタート。
大学院教授の姜尚中氏は、「読書を通じて自分が成長すれば、それに応じて本の印象や解釈も変わる。こうした活字と人との関係って、素晴らしい」
池田先生の「書を読め、書に読まれるな」との短い言葉の中に深い意味を感じた。