2011年11月30日水曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):共戦16

SEIKYO online (聖教新聞社):共戦16

 「私たちは、必死になって仏法を語ったのに、相手が信心しないと、がっかりして、落ち込んでしまいがちです。しかし、『聞法下種』も『発心下種』も功徳は同じなんです。

 大事なことは、正法を皆に語り抜いていくことなんです。

 皆さんは、不軽菩薩のことを学んだでしょう。私たちの下種活動は、現代において、不軽菩薩の行を実践しているんです。すごいことではないですか!」

 法華経の常不軽菩薩品には、次のように説かれている。

 過去世の威音王仏の滅後、像法に、不軽菩薩が出現する。

 不軽は、会う人ごとに、二十四文字の法華経を説き、礼拝・讃歎して歩いた。

 「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経五五七ページ)

 <私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです>

 不軽菩薩は、一切衆生に仏性があると確信し、こう訴え、人びとにひざまずき、合掌していったのである。

 しかし、彼の言葉を聞くと、むしろ、人びとは、怒り、憎悪の心を燃え上がらせた。不軽の言うことは虚言であるとして、悪口し、罵り、さらに、杖や棒で打ち、瓦のかけらや石を投げつけたのである。

 それでも不軽菩薩は、「我れは深く汝等を敬い……」と言って、人びとを礼拝することをやめなかった。

 この時、不軽を軽んじ、迫害を加えた者は千劫の間、無間地獄に堕ちる。しかし、最後は、正法を聞いた縁によって救われるのである。


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三級勝利への道49

http://ameblo.jp/kiroku01/entry-10374948371.html より

悪世末法は、「争い」の時代であり、それを変革するためには、一人一人が「自他の仏性」を信じ、

「人を敬う」行動を続ける以外にありません。

「人を敬う」という、人間としての最高の振る舞いを説き、万人が同じ実践を貫くように教えたのが仏教です。


「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、

不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、

穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(P1174崇峻天皇御書)