2012年12月19日水曜日

道義


『道義』
人としての正しい道
人としてふみ行うべき道。道徳。道理。

より良く幸福に生きたい。。向上心の強さの強弱が差を生み。。いつしか差別となる。
幸せは相対的でなく絶対的

人間らしく生きること。
いい時はそれなりに生きていける。
困難に直面した時、それを乗り越えられるかどうか。
困難を乗り越えた時、またそう決意した時こそ最高の幸福。
乗り越えるには勇気、挑戦の連続

2012年12月4日火曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):日本経済新聞社がまとめた「人事トップが求める新卒イメージ調査」によると、採用したい人材像の具体的な項目で

SEIKYO online (聖教新聞社):日本経済新聞社がまとめた「人事トップが求める新卒イメージ調査」によると、採用したい人材像の具体的な項目で

学会には「対話の達人」ともいうべき先輩が大勢おられるが、皆が最初から達人だったわけではない。拒絶され、時に見下され、それでも「伝えたい」情熱を絶やさずに、「対話力」を磨いていったのだ。誠実に粘り強く語る。それが伝統の学会精神である。

大谷 日本ハム入団確実に「疑問点解消した」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

大谷 日本ハム入団確実に「疑問点解消した」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

栗山監督は大谷に「翻意させに来たのではない。どうやったら夢をかなえるための手伝いができるか」と熱い言葉で訴えた。最終的にメジャーで長くプレーをするために――。方法論の一つとしてマイナーではなく、日本ハム、日本球界で技術を磨くことが近道になると説かれた大谷の心は大きく揺らいだ

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今日よりもっと価値ある幸せになるための道を一緒に探していきたい。

2012年11月5日月曜日

宮崎みんなのポータルサイト miten 宮崎の情報満載 - controller(コントローラー)

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テレビゲーム&ダイニングBARのcontrollerです♪
みんなで集まって、お酒とゲームで楽しい時間が過ごせます。ゲーム料金は”無料”です!!
料理も多数ご準備しております。同窓会や男子会などにも、ぜひcontrollerをご利用ください★☆

2012年10月24日水曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):ある女性オペラ歌手が、コンサートツアーで全国を巡る最中に、最愛の母を亡くした。

SEIKYO online (聖教新聞社):ある女性オペラ歌手が、コンサートツアーで全国を巡る最中に、最愛の母を亡くした。

駆け出し記者のころのこと。先輩から「君は誰のために書くのか?」と問われた。「全国の読者です」と答えると、先輩は言った。「今、君が一番励ましたい、苦しんでいる人を思い浮かべて書くんだ」と▼「人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆく」(原卓也訳)。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の一節を引きつつ、池田名誉会長は、こう語った。〝抽象的な「人間愛」を語るのは簡単だ。具体的な「一人」から離れず、「一人」を幸福にするために創価学会は戦ってきた〟と。

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この1説を忘れずに進んでいきたいです。

2012年7月25日水曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):建設会社を営む壮年に話を伺った。家の工事は、少しのリフォームなら既存の建物を増改築すればいい。

SEIKYO online (聖教新聞社):建設会社を営む壮年に話を伺った。家の工事は、少しのリフォームなら既存の建物を増改築すればいい。

子どもを不幸にする確実な方法は――「いつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫)。恵まれた環境で、苦労を知らずに育った子が幸福とは限らない
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親も試練ですね。

2012年7月24日火曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):厚田32

SEIKYO online (聖教新聞社):厚田32



 「順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。
失敗も、挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。
泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、
前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。
 たとえ、失敗や敗北はあっても、絶対に腐ってはならない。
いじけて、自らを卑しめることこそが敗北なんです。
忍耐強い人が、最後に勝つ人なんです。
その粘り強さを身につけていくための唱題であり、仏道修行であることを忘れないでください。
 人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、
自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます」

 メンバーは、ほおを紅潮させ、瞳を輝かせて、伸一の指導に大きく頷いていた。

 「七度倒れて八度起き上がるという、勇気ある人は即ち将来ある人である」(注)

 これは、創価の父・牧口常三郎と親交の深かった、北海道ゆかりの教育者である新渡戸稲造の箴言である。

SEIKYO online (聖教新聞社):厚田28

SEIKYO online (聖教新聞社):厚田28

山本伸一は、ここで御書の一節を拝した。
 「『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を』(一二五三㌻)
 この御文の意味は、そのまま、この厚田村の風情に通じます。
 厚田は、〝北海凍る〟と詩にも詠んだごとく、たしかに北風の村であり、厳寒の地であるかもしれません。しかし、法華経は冬の信心です。そこに、私が、恩師の故郷・厚田の天地を、愛するゆえんがあるのであります。
 真実の人間の価値というものは、その人の生命的境涯にある。温暖無風の環境で、何不自由なく生き、ただ安逸をむさぼっていたのでは、人間的な成長はない。それでは、境涯革命していくどころか、むしろ、堕落していってしまう。それに対して、『逆境こそ、境涯革命の母』と言えましょう。
 いかに貧しく、厳寒のごとき環境にあろうと、決して挫けることなく、希望の炎を燃え上がらせ、生き生きと、わが生命を発動させていく――そのなかにこそ、真の人生の価値があります。
 ゆえに私は、この日本海の荒波猛る厳寒の厚田を、人生の原点の地とし、信心の姿勢を常に確認していこうと決意しております。
 『生死即涅槃』の仏法です。苦悩の闇が深ければ深いほど、まばゆい大歓喜の光が降り注ぎます。厳寒の地における春の訪れには、ほかでは味わうことのできない、大きな希望と喜びがあります。〝法華経は冬の信心である。冬は必ず春となるのだ〟と強く確信し、粘り強く苦難への挑戦を繰り返してください。そこにこそ、人生を最も豊かに充実させていく根本方軌があります。
 私どもは、戸田先生の故郷・厚田を、共々に〝人生の原点の地〟〝心の故郷〟と定め、〝生死不二の永遠の都〟にしてまいりたいと思いますが、いかがでしょうか!」
 賛同の大拍手が、潮騒のように厚田の空に舞った。それは、試練の北風に挑み立たんとする、弟子一同の誓いの拍手でもあった。
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一人でも多く苦悩する同志・友人・知人と出会い、信心に結び付けていきたい。

2012年7月11日水曜日

人と生きる

「人の生きる力を引き出した分だけ、自分の生きる力も増していく」

引き出せる人になれる努力を重ねていこう!

2012年5月25日金曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):続々と新車種が誕生するハイブリッド車。それを世界に先駆けて量産したのはトヨタである

SEIKYO online (聖教新聞社):続々と新車種が誕生するハイブリッド車。それを世界に先駆けて量産したのはトヨタである

道を開くことは、人の歩いた道を歩く以上の困難を引き受けることでもある。
それでも人が挑戦する理由は、挑戦することそのものに「生の充実」があるからだ。
「人類にとって、本当の富とは何でしょうか」。池田名誉会長の問いに、
米国の経済学者L・サロー博士は即答した。
「冒険心、そして探求心です」。豊かな人生を開く”資源”は、自身の心の中にある。

2012年5月14日月曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):「なぜお前は青年かときかれたら望みがあるからと答えたい」。

SEIKYO online (聖教新聞社):「なぜお前は青年かときかれたら望みがあるからと答えたい」。


 「なぜお前は青年かときかれたら望みがあるからと答えたい」。戸田城聖第2代会長が、18歳で綴った随筆の一節である(現代表記に改めた)▼若人の青雲の志を謳ったこの随筆は、先日、見つかったもの。ほかにも、戸田会長が10代で綴った計20もの詩や随筆などが発見された。これらは今、北海道石狩市の厚田資料室で特別展示されている▼随筆には、こうもあった。「生きて居て楽しいかときかれたら、楽しいと答えたい。なぜかときかれたら苦労を時々するからだ、と答えたい」。大望のためなら苦労も厭わぬ青年の意気が、随所に躍動する。
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この2つの言葉は忘れず心に留めていけたらと思う。

2012年4月27日金曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):福島県の山あいで信心に励む夫妻が、このほど「小さな親切」実行章という表彰を受けた。

SEIKYO online (聖教新聞社):福島県の山あいで信心に励む夫妻が、このほど「小さな親切」実行章という表彰を受けた。

「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)と。他者に尽くして受ける評価や称賛は、もちろんうれしい。しかし、本当の幸福は、人に尽くすことそのものにある。

SEIKYO online (聖教新聞社):人材城16

SEIKYO online (聖教新聞社):人材城16


 私と戸田先生もそうです。毎日、常に、心で戸田先生と対話しながら戦っています。私の心には、いつも、先生がいらっしゃる。
 私の基準は、御書であり、それを実際に身で読まれ、実践されてきた戸田先生です。
 “こういう時、先生ならどうされるか”“自分の今日の行動は、先生のご精神にかなったものであるのか”“先生が今の自分を見たら、喜ばれるか、悲しまれるか”
 そして、“必ず、先生にお喜びいただける勝利の戦いをしよう”と、自分を鼓舞してきたんです。それが、私の勇気の源泉です。常勝の原動力なんです」
 師弟不二とは、師の心をわが心として生きることであり、いつ、いかなる時も、己心に厳として師匠がいることから始まる。いくら“師弟の道”を叫んでいても、自分の心に師匠がいなければ、もはや、仏法ではない。
 師匠を、“自分の心の外にいる存在”ととらえれば、師の振る舞いも、指導も、自身の内面的な規範とはならない。そして、師匠が自分をどう見ているかという、師の“目”や“評価”が行動の基準となってしまう。
 そうなると、“師匠が厳しく言うから頑張るが、折あらば手を抜こう”という要領主義に堕していくことになりかねない。そこには、自己の信心の深化もなければ、人間革命もない。
 もしも、幹部がそうなってしまえば、仏法の精神は消え失せ、清浄なる信仰の世界も、利害や打算の世法の世界になってしまう。
 己心に、師弟不二の大道を確立するなかにこそ、令法久住がある。

2012年4月10日火曜日

勇気のコトバ

「ノミっているよなあ………ちっぽけな虫けらのノミじゃよ! あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて戦いを挑んでくるなあ! 巨大な敵に立ち向かうノミ………………これは『勇気』と呼べるだろうかねェ ノミどものは『勇気』と呼べんなあ それでは『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖』を我が物とすることじゃあッ! だが『恐怖』を支配した時! 人間賛歌は『勇気』の賛歌ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!! いくら強くてもこいつら屍生人は『勇気』を知らん! ノミと同類よォーッ! http://www.meigen100.com/2/1.php 勇気とは恐怖心に抵抗することである。これは恐怖を全然知らないということではない。 恐怖をわが物にするということである。 人間にはどこか臆病なところがあるからこそ「大胆」というのがほめ言葉になるのだ。 ノミがいい例だ。もし恐怖の欠如が勇気であるならば、ノミこそは神の創造した一番勇気のある生物である。 相手が眠っていようと目覚めていようと、ノミは平気で攻撃をかける。 ノミにとってわれわれ人間に手向かうことは、赤ん坊が全世界の軍隊に手向かうようなものだが、 ノミは一向気にしない。ノミは昼も夜も危険と死の真っ只中にいるが、千年も昔にあった、 大地震が起こる前の、町を歩く人間のように、平気な顔である。 クライヴやネルソンやプットナムを「恐怖の知らぬ者」として数えあげる場合、 こうした連中に、もう一つノミをつけ加えることを忘れてはならない。 そして先頭に立たせることだ。 マーク・トウェイン 「やろう」と思う強い意志は、これまで行ってきた行動の回数と、その時の決意の強さによって決まります。 そして行動にかかるたびに、人間の脳は成長します。そうなった時、本当の信念が生まれるのです。せっかく決心しても、 また美しい気持ちを抱きかけても、実を結ぶことなく立ち消えになってしまっては、 その損害は機会を失った時よりはるかに大きいでしょう。その人の将来の目的の達成が遅れてしまうし、 心の冷たい人になってしまうからです。口先だけなら、誰でも強そうなことが言えます。 でも実際にその場で発揮できる勇気は、いつの場合でも十分ではありません。 私たちは、勇気が毎日少しずつ蒸発するにまかせているからです。 ヘレン・ケラー 子供の頃はぶきっちょで体も弱かったので、青年になっても私は神経が落ち着かず、 とうてい勇気を持てる自信などなかった。私は肉体面だけでなく、精神面でも負けじ魂の面でも、 徹底的に鍛え直す必要があったのだ。……少年時代の私は、マリアッドの小説次の一節を繰り返し読んだものだ。 小説の主人公に向かって、英国の一小戦艦の艦長が、肝っ玉のすわった人間になるにはどうすればよいか、 教えているくだりである。 「初めて戦場に出るのは、誰でも恐ろしいものだが、取るべき道はただ一つ、戦闘など全然こわくないといった顔で 立ち向かうことだ。この態度を常にとり続けていると、見せかけでなく、本当に度胸がすわってくる。 恐怖を知らぬ態度を繰り返しているうちに、いつの間にか本当に恐怖を感じなくなり、度胸のある人間になるのだ」 私はこの考えにしたがって、恐怖を克服した。かつては灰色熊から「意地悪な」馬、ガン・ファイターに至るまで、 ありとあらゆるものがこわかった。しかしこわくないようなふりをしていると、いつか本当にこわくなくなってきた。 その気になりさえすれば、たいていの者は私と同じ経験をすることができる。 セオドア・ルーズベルト 為せば成る為さねば成らぬ何事も 為らぬは人の為さぬなりけり 《なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり》 ※何事もやればできる。できないのはその人がやろうとしていないからだ。

2012年3月13日火曜日

火の国・「青葉の誓い」

火の国・「青葉の誓い」  厳父は覚悟の 旅に発つ  生い立て君よ 民守れ  火の国我らの 旗光り  広布の山の 先駆たり  友よいざ征け 黎明だ  ああ青葉の誓い 忘れまじ  夜明けの世紀だ 黎明だ  ああ青葉の誓い 忘れまじ

2012年3月8日木曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風34

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風34

弘教を実らせるのは、まず第一に、絶対に、この人に幸せになってもらいたいという、相手を思う真心の唱題


利他の精神を徹底して実践するところにこそ仏界に至る因がある。

2012年2月24日金曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風23

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風23

「親子、家族の絆は強い。成仏のためには、生前の故人の信心が最大の要件であることは当然ですが、残された子どもなど、家族が真剣に題目を送ることによって、故人を成仏に導くことができます。

 他界したあとは、回向される側の成仏・不成仏は、回向する側の信心のいかんにかかってきます。したがって、ご遺族など、回向する方々が、強盛に信心に励んでいくことが、大事になるんです」

 次いで伸一は、仏法で説く、「逆即是順」(逆即ち是れ順なり)の法理に言及していった。「逆」とは逆縁、すなわち、仏の教えを聞いて正法を誹謗することであり、「順」とは順縁を意味し、仏の教えを聞いて素直に信心することをいう。

 「逆即是順」とは、一切衆生は仏性を具えているがゆえに、たとえ正法を誹謗した人であったとしても、正法に縁したことが因となって、必ず成仏できることを説いたものである。

 「ゆえに、南無妙法蓮華経という大法をもって回向するならば、物故者の生命が悪業をはらんでいたとしても、悪は即善と顕れ、成仏させることができるのであります。しかも、この題目の回向によって、自分自身にも福運と威光勢力が具わっていきます。そこに、私どもの追善の深い意義があります」

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風22

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風22

 「私どもの生命は永遠であり、今世から来世、来世から、さらに次の世へと生まれていく。それを順次生と言います。そして、今世の所業によって次生以後の果報、すなわち報いが決定されていくと説かれています。つまり、無始無終に連続する生命活動にも、厳然と因果の理法が存するのであります。

 今世において、御本尊を受持し抜き、強盛に信心を貫いた場合には、それが因となって来世の成仏が約束される。反対に、正法を誹謗した場合は、来世に無間地獄に堕ちる因をつくっていると説かれているんです。

 したがって、今世において、人びとの幸福を願い、広宣流布の使命に生き抜いていくならば、どんなに辛く苦しい思いをしようが、たとえば、大弾圧の果てに命を奪われようが、来世の成仏は間違いありません」

 三世の生命という法理を知ることから、正しい価値観も、人生観も、そして、真実のモラルも確立されるのである。

2012年2月7日火曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):二足歩行によって人間の脳は発達したが、骨盤の変形で産道が狭まり、難産になった。

SEIKYO online (聖教新聞社):二足歩行によって人間の脳は発達したが、骨盤の変形で産道が狭まり、難産になった。


 二足歩行によって人間の脳は発達したが、骨盤の変形で産道が狭まり、難産になった。だが、その逆境が“人間らしさ”を生んだという▼一頭だけで出産できるチンパンジーと異なり、人間の出産には、介助者、協力者が必要だ。それがDNAに組み込まれ、他の動物にはない「自発的な協力」を身につけた(NHK「ヒューマン なぜ人間になれたのか」)▼人は、誕生から他の人間の世話になり、一人前に育つまで多くの支えがいる。「育」という漢字の部首は肉月。上の部分は一説には、「子」を逆さまにした形で、子どもが生まれる時の様子。そして、赤ちゃんに筋肉をつけさせ大きく育てる。ちなみに「充」は、生まれた子が成長し、二本足(儿)で立てるようになった様。その時、親や周囲の人々は充実感を味わう▼子どもを、皆の励ましの輪の中で育てようという「教育のための社会」。その実現は、まさに人間らしさの帰着といえよう。池田名誉会長は「わが教育者に贈る」に「支え合い、励まし合って生きるのが、人間です。そこに人間性の源泉もあります」と綴った▼震災復興のキーワードになっている「助け合う」「絆を強める」「つながる」ことは、実は、人間を人間たらしめている根幹なのだ。(杏)

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しかし二足歩行でないときでも仲間・家族グループを形成し生き抜いてきたんだろうと思う。
他人との仲間、家族仲間この2点の形成意義には大きく隔たりもありそう。
日本の現代社会の生活レベルの発展の方向をみていると、
人間は本来あまり干渉されたくない生き方を実は望んでいるのではなかろうかと思うこともある。
それとも人間の無意識による反応として日本列島に1億人以上住むのは窮屈だと感じているのかもしれない。
なんとなくだけど。


2012年2月6日月曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風8

SEIKYO online (聖教新聞社):薫風8

「司会者は、勤行の副導師を務めることもあるので、今日は、副導師の基本についても話しておきます。

 副導師をする場合には、まず、導師の声をよく聴いて、その声に、合わせていくことです。導師を差し置いて、先に進んでしまってはならないし、遅くなってもいけません。

 そのうえで、白馬が天空を駆けるような、軽快なリズムの勤行にしていくことです。

 また、大人数で勤行をすると、読経も、題目も、だんだんと遅くなりがちです。副導師は、それに引っ張られてしまうのではなく、軽やかなテンポで、みんなをリードしていかなくてはならない。

 さらに、読経の発音は、明瞭であることが大事です。そうするには、日々の勤行の際に、いい加減な発音になっていないか、息継ぎの場所は適切かなど、よく注意し、完璧な勤行をめざして、努力していくことです。

 ともかく、音吐朗々と、さわやかに、力強い勤行を心がけることです。この九州訪問では、副導師の訓練もしていきます」

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唱題会ではテンポがバラバラであるとそっちにばかり気になって集中できないことも多いし、

それを嫌って参加しない方もいるのかも知れない。。。。

っというか自分がそれに当たる。。。

皆でするときは自分勝手なリズムでやるのは気をつけて控えていきたい。



2012年2月3日金曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):どんな人のなかにも「仏の生命」がある――これが法華経のメッセージだ。

SEIKYO online (聖教新聞社):どんな人のなかにも「仏の生命」がある――これが法華経のメッセージだ。

どんな人のなかにも「仏の生命」がある――これが法華経のメッセージだ。しかし、これは難信難解(信じ難く理解し難い)。
日蓮大聖人は例えば「観心本尊抄」の中で、そのことを繰り返し強調されている
▼のみならず「汝之を信ぜば正法に非じ」(御書241㌻)とまで仰せである。〝今あなたがこれを信じたら、正法にはなりません〟と。
法華経のすばらしさを宣揚しつつも、法華経の教えはたやすく信じられるものではない、ということだ
▼その心は「軽信に陥るな。分かったつもりになってはならない」との戒め、と拝することもできるだろう。まことに、信仰の敵とは〝懐疑〟ではない。
〝軽信〟なのだ▼苦難に直面したとき――。祈り、戦い、乗り越えてこそ、人は自身の胸中に〈不屈の魂〉を実感する。
真心こめて励ました友が、見事に蘇生し得たとき、私たちはそこに〈大いなる生命〉を発見する。信仰体験とは、互いの〈仏性〉確認のためのドラマであろう
▼「難信難解」の4文字は〝難に鍛えられての信仰、難を乗り越えての理解〟と受け止めたい。だからこそ私たち創価の友は、
どんな苦難にも決して負けず立ち上がるのである。万人に仏性あり――その証明は、私たちの使命であり、喜びである。(克)

2012年1月30日月曜日

2012年1月25日水曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):大震災を経験し、幸せの在り方を見直す機運が日本社会に広がっている。

SEIKYO online (聖教新聞社):大震災を経験し、幸せの在り方を見直す機運が日本社会に広がっている。

 大震災を経験し、幸せの在り方を見直す機運が日本社会に広がっている。
「絆」という言葉の“再発見”しかり。
昨秋、ブータン国王夫妻の来日が話題を呼んだのも、この国が国づくりの指標とする「国民総幸福量」と関係していよう
心理学でも「幸福とは何か」という研究テーマが近年、話題だという。こんな実験が紹介されていた
集団を三つに分け、それぞれ9週間、①感謝したこと②面倒だったこと③起こった出来事、を記録させる。
最も満足度が高く、かつ健康状態も良いのは「感謝したこと」を記録する集団だった。
また、「人に親切にしたこと」を記録するグループと、何もしないグループでは、前者の方が幸福感が高かった
(『幸せを科学する』大石繁宏著、新曜社)
一方、幸福感の低い人には、他者と比較して自己評価を下す傾向が強いことも、同書では紹介されていた。
私たちが信仰実践の中で教えられ、実感してきたことが、一つの裏付けをもって論じられている
他人でなく、きのうの自分ときょうの自分を比較する「向上の人生」。
人を支え、自分も元気になる「励ましの人生」。
支えてくれる人に感謝し応えていく「報恩の人生」。
学会活動の中には、幸福の種がいっぱい詰まっている。(飛)

2012年1月24日火曜日

SEIKYO online (聖教新聞社): わが友に贈る

SEIKYO online (聖教新聞社): わが友に贈る
人材育成の根本は 
自身の人間革命だ。 
後輩を心から尊敬し 
自分よりも立派に! 
成長を競い合え!
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まさに今の自分にとって一番大事なことです。

2012年1月20日金曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):共戦56

SEIKYO online (聖教新聞社):共戦56
彼は、女子部の幹部に言った。
「みんなも、やがて結婚し、婦人部に行くでしょう。子育てに追われ、生活に疲れ果てることもあるでしょう。
また、第一線の組織活動で、苦労することもあるでしょう。
しかし、自分は、女子部員のリーダーであったという、誇りと気概を忘れないことです。
“私は、大事な学会の組織を託された!”“自分を慕ってくれた人たちがいる!”ということを忘れず、
自身の原点として、頑張り抜いていくんです。女子部時代に、中核として信心に励んだ功徳、福運は大きい。
だから、途中、いかに辛いこと、大変なことがあっても、信心を貫いていけば、必ず幸せになれます。
人生の大勝利者になれます」
魂を注ぐ思いで、伸一は訴えていった。

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託された人の想い、、託した人の想い、の中に励ましはある。
女性は命を生み出し育む使命があるからこそ、他の生命に対する命の懸け方が深いのだろうか。。

2012年1月19日木曜日

活動報告 3世代にわたる先生の励まし 松島孝久さん

2012/1/13(金): 日々感動の聖教新聞より

10、活動報告 3世代にわたる先生の励まし 松島孝久さん
一、私の原点は創価大学卒業目前の2月、大学内を車で回られていた創立者・池田先生に直接、激励していだいたことです。
私は無我夢中で「
松島です。青葉荘の松島の孫です」と声を出していました。実は、父方の一家は大田区大森の青葉荘で、独身時代の先生の隣の部屋に住んでいたのです。
父の祖母から、いつも先生に大変にお世話になったと聞いていましたので、一言、お礼を言わなければ、と心に決めていました。先生は祖母を覚えてくださっていて、大変に喜んでくださいました。隣に乗られていた奥様も「
あら。おばあちゃんとそっくりね。よく似てるわね」と言ってくださり、祖母の近況を詳しく聞いてくださいました。
一、私の一家が信心でき、今の私があるのも、全て先生のおかげです。
1949年5月、青葉荘に引っ越してこられた21歳の先生は、会う人ごとに爽やかに挨拶をされ、居住者と親交を結んでおられたそうです。先生が住まわれていた部屋は四畳半一間。松島家も、同じ間取りに親子7人で暮らしていました。私の父は三男で、このころ5歳。祖母は心臓を患い、起き上がることさえ、ままならないという状況でした。
先生はわが家の状況を見るに見かね、祖母に合うたびに信心の話をしてくださったそうです。すぐに入会には踏み出せなかったものの、祖母は誠実な振る舞いに深い信頼を寄せるようになりました。
ある日、青葉荘に住む方が、亡くなられたことがありました。終戦後のことで皆、貧しく、僧侶を呼んだりすることができなかったそうで、祖母は、いつも隣の部屋から聞こえてくる、熱心なお経の声を思い出し、何と先生に「
お経を上げてほしい」と頼みに行ったのです。先生は快諾され、今で言う「友人葬」のように、朗々と勤行・唱題をしてくださいました。その、あまりに立派な勤行に、祖母や近所の方は「坊さんよりすごい」と、ただただ感心していました。
一、私の父を始め、近所の子どもたちも皆、先生のことが大好きになりました。姿を遠くに見つけると、子どもたちがワッと駆け寄ったほどで、こうした子どもたちを、時には自分の部屋に招き、世界の物語を聞かせてくださったり、劇をやったりして、かわいがってくれました。
しかし、当時の『若き日の日記』を読ませていただくと、体調のすぐれない中、命がけで戸田先生の事業を支え、学会活動に奔走される激闘の日々が綴られています。
帰宅は連日深夜。冬にはコートも買えない生活の中、50年5月10日の日記には、次のような一節があります。「
隣室の子どもを始め、数人の子どもと遊ぶ。一晩中、嬉しそうに、騒いでいた。かわいそうな子らを、何とか、仏法で導き救わねば」と。自らが、大変な試練の中にありながら、一番身近な近隣の方々を心から大切にし、小さな子どもたちの幸福まで、心を砕いてくださっていたのです。
一、先生は52年、結婚を機に引っ越されましたが、この3年間でアパートや近隣の方たちが次々と信心を始めました。わが松島家も皆が入会することができ、祖母は、日に日に健康を回復しました。
その後も、先生は何かとわが家のことを気に掛けてくださり、祖母は大田区小林町の自宅にも何度か、お邪魔をしたそうです。
あるとき、先生の体調が悪いと聞き、貧乏な中、やっと用意したシワシワのみかんを持ってお見舞いに行ったことがありました。先生は逆に激励してくださり、更にわが家の状況をご存知の苦様も心を砕いてくださり、帰りに、そっと、大きいツルツルのみかんを持たせてくださったそうです。
一、祖母の人生は、宿命の嵐との戦いでした。10年間闘病した祖父は61歳で他界。父の兄である、息子にも先立たれました。しかし、祖母はいつも明るく、はつらつとしていました。祖母の口癖は、「
若い日の先生も、今の偉大な先生も同じだよ。お心は変わっていらっしゃらない」でした。昨年11月、祖母は96歳で亡くなりました。先生に教えていただいた折伏精神を何よりの誇りに、亡くなる少し前まで、通っていた介護施設で友情を広げるなど、身近な人をどこまでも大切にしていました
私が創価大学に入学したことを、誰よりも喜んでくれた祖母。「生涯、先生と共に」との祖母の心を受け継いで行くことが、孫である私の使命であると決意しています。
一、私は総区副青年部長として戦わせていただいたあと、昨年、壮年部に進出とともに地区部長の任をいただきました。壮年部の先輩である67歳の父は、5年前までの12年間、支部長をさせていただきました。中でも2002年、先生が教学部の「中級試験」の受験会場となっていた創価女子短期大学を訪問し、わが稲城清流区の受験者を激励してくださったことがありました。20世帯を超える過去最高の折伏に取り組んでいた父の支部は、多くの受験者を直接、激励していただくことができたのです。
大切な同志と先生の絆を、拡大の中で結べたことが、父の何よりの誇りです。現在、父は副本部長兼任で地区部長となり、私にだけは負けたくないと、元気に戦っています。
私自身、
3世代にわたって励ましていただいた感謝を忘れず、先生を一切の手本として、わが長峰大勝地区の大切な皆さんのために、全身全霊、戦ってまいります
「青年学会 拡大の年」開幕の新年勤行会、わが地区では一人の青年が御本尊を受持することができました。さらに戦い、伝統の2月を必ずや勝利で飾ってまいります。

2012年1月13日金曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):北海道夕張市に、鹿ノ谷というJRの駅がある。

SEIKYO online (聖教新聞社):北海道夕張市に、鹿ノ谷というJRの駅がある。


「見るもよし 見ざるもよし されど我は咲くなり」との格言を認めて贈った。
誰がどう見ていようが、見ていなかろうが、自ら決めた信念は貫く――
励ましは、迫害を越え、広布開拓へ進む同志の支えとなった

2012年1月12日木曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):ある創価中学生の体験を聞き、胸が熱くなった。

SEIKYO online (聖教新聞社):ある創価中学生の体験を聞き、胸が熱くなった。

“親思う心にまさる親心”と先哲は詠んだ。親の情は深く、尊い。
そして広布の世界には、子を思う心に劣らぬ同志愛があり、師弟愛がある。
多くの子を支える環境を、皆でつくらねばならない
▼受験生を抱える家庭、わが子が就職して巣立ちゆく家庭……。本人や親にとって、不安や心労が最も重なる季節を迎える。
周囲の励ましが、ますます大切になる。ほんの一言、たった一通の葉書やメールが人生を変えることもある
▼後継の若木が、風雪に耐え、大樹に育つには“希望の光”がいる。
“勇気の水”もいる。“祈りの土壌”も必要だ。
その一助となれるよう、創価家族の絆を強く結んでいきたい。