2012年1月19日木曜日

活動報告 3世代にわたる先生の励まし 松島孝久さん

2012/1/13(金): 日々感動の聖教新聞より

10、活動報告 3世代にわたる先生の励まし 松島孝久さん
一、私の原点は創価大学卒業目前の2月、大学内を車で回られていた創立者・池田先生に直接、激励していだいたことです。
私は無我夢中で「
松島です。青葉荘の松島の孫です」と声を出していました。実は、父方の一家は大田区大森の青葉荘で、独身時代の先生の隣の部屋に住んでいたのです。
父の祖母から、いつも先生に大変にお世話になったと聞いていましたので、一言、お礼を言わなければ、と心に決めていました。先生は祖母を覚えてくださっていて、大変に喜んでくださいました。隣に乗られていた奥様も「
あら。おばあちゃんとそっくりね。よく似てるわね」と言ってくださり、祖母の近況を詳しく聞いてくださいました。
一、私の一家が信心でき、今の私があるのも、全て先生のおかげです。
1949年5月、青葉荘に引っ越してこられた21歳の先生は、会う人ごとに爽やかに挨拶をされ、居住者と親交を結んでおられたそうです。先生が住まわれていた部屋は四畳半一間。松島家も、同じ間取りに親子7人で暮らしていました。私の父は三男で、このころ5歳。祖母は心臓を患い、起き上がることさえ、ままならないという状況でした。
先生はわが家の状況を見るに見かね、祖母に合うたびに信心の話をしてくださったそうです。すぐに入会には踏み出せなかったものの、祖母は誠実な振る舞いに深い信頼を寄せるようになりました。
ある日、青葉荘に住む方が、亡くなられたことがありました。終戦後のことで皆、貧しく、僧侶を呼んだりすることができなかったそうで、祖母は、いつも隣の部屋から聞こえてくる、熱心なお経の声を思い出し、何と先生に「
お経を上げてほしい」と頼みに行ったのです。先生は快諾され、今で言う「友人葬」のように、朗々と勤行・唱題をしてくださいました。その、あまりに立派な勤行に、祖母や近所の方は「坊さんよりすごい」と、ただただ感心していました。
一、私の父を始め、近所の子どもたちも皆、先生のことが大好きになりました。姿を遠くに見つけると、子どもたちがワッと駆け寄ったほどで、こうした子どもたちを、時には自分の部屋に招き、世界の物語を聞かせてくださったり、劇をやったりして、かわいがってくれました。
しかし、当時の『若き日の日記』を読ませていただくと、体調のすぐれない中、命がけで戸田先生の事業を支え、学会活動に奔走される激闘の日々が綴られています。
帰宅は連日深夜。冬にはコートも買えない生活の中、50年5月10日の日記には、次のような一節があります。「
隣室の子どもを始め、数人の子どもと遊ぶ。一晩中、嬉しそうに、騒いでいた。かわいそうな子らを、何とか、仏法で導き救わねば」と。自らが、大変な試練の中にありながら、一番身近な近隣の方々を心から大切にし、小さな子どもたちの幸福まで、心を砕いてくださっていたのです。
一、先生は52年、結婚を機に引っ越されましたが、この3年間でアパートや近隣の方たちが次々と信心を始めました。わが松島家も皆が入会することができ、祖母は、日に日に健康を回復しました。
その後も、先生は何かとわが家のことを気に掛けてくださり、祖母は大田区小林町の自宅にも何度か、お邪魔をしたそうです。
あるとき、先生の体調が悪いと聞き、貧乏な中、やっと用意したシワシワのみかんを持ってお見舞いに行ったことがありました。先生は逆に激励してくださり、更にわが家の状況をご存知の苦様も心を砕いてくださり、帰りに、そっと、大きいツルツルのみかんを持たせてくださったそうです。
一、祖母の人生は、宿命の嵐との戦いでした。10年間闘病した祖父は61歳で他界。父の兄である、息子にも先立たれました。しかし、祖母はいつも明るく、はつらつとしていました。祖母の口癖は、「
若い日の先生も、今の偉大な先生も同じだよ。お心は変わっていらっしゃらない」でした。昨年11月、祖母は96歳で亡くなりました。先生に教えていただいた折伏精神を何よりの誇りに、亡くなる少し前まで、通っていた介護施設で友情を広げるなど、身近な人をどこまでも大切にしていました
私が創価大学に入学したことを、誰よりも喜んでくれた祖母。「生涯、先生と共に」との祖母の心を受け継いで行くことが、孫である私の使命であると決意しています。
一、私は総区副青年部長として戦わせていただいたあと、昨年、壮年部に進出とともに地区部長の任をいただきました。壮年部の先輩である67歳の父は、5年前までの12年間、支部長をさせていただきました。中でも2002年、先生が教学部の「中級試験」の受験会場となっていた創価女子短期大学を訪問し、わが稲城清流区の受験者を激励してくださったことがありました。20世帯を超える過去最高の折伏に取り組んでいた父の支部は、多くの受験者を直接、激励していただくことができたのです。
大切な同志と先生の絆を、拡大の中で結べたことが、父の何よりの誇りです。現在、父は副本部長兼任で地区部長となり、私にだけは負けたくないと、元気に戦っています。
私自身、
3世代にわたって励ましていただいた感謝を忘れず、先生を一切の手本として、わが長峰大勝地区の大切な皆さんのために、全身全霊、戦ってまいります
「青年学会 拡大の年」開幕の新年勤行会、わが地区では一人の青年が御本尊を受持することができました。さらに戦い、伝統の2月を必ずや勝利で飾ってまいります。