2012年4月27日金曜日

SEIKYO online (聖教新聞社):福島県の山あいで信心に励む夫妻が、このほど「小さな親切」実行章という表彰を受けた。

SEIKYO online (聖教新聞社):福島県の山あいで信心に励む夫妻が、このほど「小さな親切」実行章という表彰を受けた。

「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)と。他者に尽くして受ける評価や称賛は、もちろんうれしい。しかし、本当の幸福は、人に尽くすことそのものにある。

SEIKYO online (聖教新聞社):人材城16

SEIKYO online (聖教新聞社):人材城16


 私と戸田先生もそうです。毎日、常に、心で戸田先生と対話しながら戦っています。私の心には、いつも、先生がいらっしゃる。
 私の基準は、御書であり、それを実際に身で読まれ、実践されてきた戸田先生です。
 “こういう時、先生ならどうされるか”“自分の今日の行動は、先生のご精神にかなったものであるのか”“先生が今の自分を見たら、喜ばれるか、悲しまれるか”
 そして、“必ず、先生にお喜びいただける勝利の戦いをしよう”と、自分を鼓舞してきたんです。それが、私の勇気の源泉です。常勝の原動力なんです」
 師弟不二とは、師の心をわが心として生きることであり、いつ、いかなる時も、己心に厳として師匠がいることから始まる。いくら“師弟の道”を叫んでいても、自分の心に師匠がいなければ、もはや、仏法ではない。
 師匠を、“自分の心の外にいる存在”ととらえれば、師の振る舞いも、指導も、自身の内面的な規範とはならない。そして、師匠が自分をどう見ているかという、師の“目”や“評価”が行動の基準となってしまう。
 そうなると、“師匠が厳しく言うから頑張るが、折あらば手を抜こう”という要領主義に堕していくことになりかねない。そこには、自己の信心の深化もなければ、人間革命もない。
 もしも、幹部がそうなってしまえば、仏法の精神は消え失せ、清浄なる信仰の世界も、利害や打算の世法の世界になってしまう。
 己心に、師弟不二の大道を確立するなかにこそ、令法久住がある。

2012年4月10日火曜日

勇気のコトバ

「ノミっているよなあ………ちっぽけな虫けらのノミじゃよ! あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて戦いを挑んでくるなあ! 巨大な敵に立ち向かうノミ………………これは『勇気』と呼べるだろうかねェ ノミどものは『勇気』と呼べんなあ それでは『勇気』とはいったい何か!? 『勇気』とは『怖さ』を知ることッ!『恐怖』を我が物とすることじゃあッ! だが『恐怖』を支配した時! 人間賛歌は『勇気』の賛歌ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!! いくら強くてもこいつら屍生人は『勇気』を知らん! ノミと同類よォーッ! http://www.meigen100.com/2/1.php 勇気とは恐怖心に抵抗することである。これは恐怖を全然知らないということではない。 恐怖をわが物にするということである。 人間にはどこか臆病なところがあるからこそ「大胆」というのがほめ言葉になるのだ。 ノミがいい例だ。もし恐怖の欠如が勇気であるならば、ノミこそは神の創造した一番勇気のある生物である。 相手が眠っていようと目覚めていようと、ノミは平気で攻撃をかける。 ノミにとってわれわれ人間に手向かうことは、赤ん坊が全世界の軍隊に手向かうようなものだが、 ノミは一向気にしない。ノミは昼も夜も危険と死の真っ只中にいるが、千年も昔にあった、 大地震が起こる前の、町を歩く人間のように、平気な顔である。 クライヴやネルソンやプットナムを「恐怖の知らぬ者」として数えあげる場合、 こうした連中に、もう一つノミをつけ加えることを忘れてはならない。 そして先頭に立たせることだ。 マーク・トウェイン 「やろう」と思う強い意志は、これまで行ってきた行動の回数と、その時の決意の強さによって決まります。 そして行動にかかるたびに、人間の脳は成長します。そうなった時、本当の信念が生まれるのです。せっかく決心しても、 また美しい気持ちを抱きかけても、実を結ぶことなく立ち消えになってしまっては、 その損害は機会を失った時よりはるかに大きいでしょう。その人の将来の目的の達成が遅れてしまうし、 心の冷たい人になってしまうからです。口先だけなら、誰でも強そうなことが言えます。 でも実際にその場で発揮できる勇気は、いつの場合でも十分ではありません。 私たちは、勇気が毎日少しずつ蒸発するにまかせているからです。 ヘレン・ケラー 子供の頃はぶきっちょで体も弱かったので、青年になっても私は神経が落ち着かず、 とうてい勇気を持てる自信などなかった。私は肉体面だけでなく、精神面でも負けじ魂の面でも、 徹底的に鍛え直す必要があったのだ。……少年時代の私は、マリアッドの小説次の一節を繰り返し読んだものだ。 小説の主人公に向かって、英国の一小戦艦の艦長が、肝っ玉のすわった人間になるにはどうすればよいか、 教えているくだりである。 「初めて戦場に出るのは、誰でも恐ろしいものだが、取るべき道はただ一つ、戦闘など全然こわくないといった顔で 立ち向かうことだ。この態度を常にとり続けていると、見せかけでなく、本当に度胸がすわってくる。 恐怖を知らぬ態度を繰り返しているうちに、いつの間にか本当に恐怖を感じなくなり、度胸のある人間になるのだ」 私はこの考えにしたがって、恐怖を克服した。かつては灰色熊から「意地悪な」馬、ガン・ファイターに至るまで、 ありとあらゆるものがこわかった。しかしこわくないようなふりをしていると、いつか本当にこわくなくなってきた。 その気になりさえすれば、たいていの者は私と同じ経験をすることができる。 セオドア・ルーズベルト 為せば成る為さねば成らぬ何事も 為らぬは人の為さぬなりけり 《なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり》 ※何事もやればできる。できないのはその人がやろうとしていないからだ。