日蓮大聖人は、極寒に身を責められ、食べる物も、着る物も乏しく、命をも狙われていた流罪の地・佐渡にあって、門下に宛てた御手紙に、こう記されている。
「流人なれども喜悦はかりなし」(御書一三六〇ページ)――それが、仏の大境涯であり、「絶対的幸福」の発露であろう。
初代会長・牧口常三郎もまた、軍部政府の弾圧によって獄に繋がれながら、看守を折伏し、取り調べの場で価値論を説き、家族らに励ましと指導の葉書を送り続けている。
その葉書には、「何の不安もない」(注1)とある。また、検閲によって削除されているが、「心一つで地獄にも楽しみがあります」(注2)とも記されている。
幸福は、最終的には、環境条件によって決定づけられるのではない。
幸福は、どこにあるのか。自身の胸中にあるのだ。心の宮殿のなかにあるのだ。その宮殿の扉を開けるカギこそが、信心なのである。